2013年9月26日木曜日

フリーで活動するということ

アート・デザイン系の学校に進んでいる人の中には、「フリーで活動する」ということに過大な幻想を抱いている人もいるでしょう。今回は六代桂文枝が、師匠だった五代桂文枝にかけられたという言葉から、フリーで活動するとは?ということを少しでも考えてもらえたら、と思います。

------ 以下、THE PAGE 2013/5/26配信分より引用 ------



入門直後、師匠のかばん持ちをさせていただいた頃に教えていただいたことが、今でも深く深く心に残っています。しかも、年を経れば経るほど、ホンマに大きいことを教えてもらってたんやなと痛感しています。

ある日、師匠と一緒に街を歩いていると、大学の同級生に会ったんですわ。久しぶりやったうれしさもあって、「また、寄席(よせ)に出るようになったら、見に来てや!」なんて、話を師匠そっちのけにするくらいにしてしもたんです。

その後、内弟子をしていた師匠のお宅に戻って、晩ごはんをいただいている時、師匠から「きょう、話してたんは誰や?」と尋ねられたんです。「しもた!!話に夢中になって、師匠をほったらかしにしてしまったから、怒られる…」と思ったら、「そんなことやない」と。

「お前、きょう、気安い口調でしゃべっとったやろ。たとえ、同級生でも、その人はこれからのお前にとったらお客さんや。友達でも、気楽にため口でしゃべるようなことをしたらアカン。芸人は常にへりくだって、笑ってもらう仕事や。その自覚がない限り、いつまで経っても噺家(はなしか)にはなれん」と言われました。

芸人とはどういう仕事なのか、自分が入った世界はどういう世界なのか。昔からの友達であっても、もう普通にはしゃべられへん世界に自分は入ってしまったんや。好きで進んだ道。女手一つで大学まで行かせてくれた母親を悲しませてまで入った道。せやけど、やっていけるんやろうか。ホンマにこれでよかったんやろうか。いろいろな思いがめぐって、その晩はとにかく涙が出ました。

------ 以上、THE PAGE 2013/5/26配信分より引用 ------

『芸人』とは立場が少し違うかもしれませんが、フリーで活動するならば、「友人といえども、明日はお客様になる可能性がある」、ということに変わりないかもしれませんね。日本でそういった職業の人は「自由人〜♪」みたいなイメージを持たれている気がします。が、一本立ちしてそれで食べている人に、あまり無茶苦茶な人は居ないように感じます。少なくとも、私の周りはそうですね。

流石にへりくだる必要までは無いかもしれません。が、手に職をつけて一本立ちするということは、自分の周囲の人達 ー たとえそれが友人であっても ー 付き合い方をかえる覚悟で挑まなければ、成功はおぼつかないのかもしれません。以上、ご参考までに......

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